年末年始にご家族が集まった時の話題になるかと思い、昔の若葉台について調べてみました。
 

今我々が住んでいる若葉台付近の54年前(1964年)と41年前(1977年)の航空写真が有りましたので、若葉台の今昔を比較します。なお、航空写真上の〇〇〇は施設名、〇〇〇は信号名を示します。

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 昔の若葉台は森と畑の丘陵地で、若葉台の東側の「三保市民の森」はほぼ現在と同じで、「若葉台中学校」グランド東側の森の形状等は現在と同じです。若葉台の南側の「亀甲山信号」から「若葉台団地入口信号」付近の道路は現在と同じ形状で付近に家屋が確認できます。「若葉台団地入口信号」から「若葉台南側信号」方向への道路は、現在のイチョウ並木の西側の細い道が確認できます。

 

 現在のイチョウ並木の上の「水道橋」は54年前に既に有ります。(余談参照)「若葉台南側信号」の東側の、現在横溝さんが多く住まわれている地域には家屋が確認でき、「若葉台南側信号」の西側の、現在足立さんが多く住まわれている地域にも家屋が確認できますが、現在の若葉台団地の範囲には家屋は確認できません。若葉台の造成工事が終わった41年前には、現在の25棟や26棟前に多くの家屋が確認でき、一丁目の第一期工事も始まっています。

 

40年以上前には若葉台の南側付近に家屋は点在していますが、団地完成までは中山や三ツ境行きのバスの本数も少なく陸の孤島状態で有ったと推察されます。一説では、この辺りは「横浜のチベット」と言われていたとの噂も有ります。なお、十日市場駅の開業は39年前(197941日)で、駅開業と同時に十日市場駅-若葉台折返場(余談参照)間のバスの運行が開始されました。十日市場から青葉台間の東名高速道路下の道路はまだ完成していません

 

 「霧が丘高校信号」から「若葉台南側信号」、「あかね信号」、「若葉台西側」を結ぶ現在のバス道路は、54年前の航空写真で他の場所と色が異なる田んぼ?を結んだ丘陵地の低い所に作られたと思われます。

 若葉台は緑に囲まれ、多くの公園が有りますが「檜山公園」、「若葉台公園」、「大貫谷公園」等の大規模公園は昔の森を利用して作られています。二丁目の「えびね公園」も昔の森を利用して作られています。 


余談です。

 

当初から入居されている方はご存知かも知れませんが、途中から入居された方に若葉台の雑学をお知らせします。

 

若葉台は1丁目、2丁目、3丁目、4丁目の順に建設されて行きました。2丁目南の皆様の入居が始まった頃は3丁目、4丁目は原っぱで、当然現在の若葉台中央のバスロータリーや、イトーヨーカドーは有りません。

 

若葉台南の入居が始まった37年前(1981年)当時の若葉台のバスの折返場は、日向根公園の現在のテニスコートとグランドに挟まれたゲートボール場付近に有りました。また、ミニスーパー(ヨークマート)が2丁目6棟北側の現在の立体駐車場の上に、3丁目のイトーヨーカドーが出来るまで有りました。当初から入居の方もお忘れでしょうか。

 

 以前、若葉台には地下鉄が通る話が有りました。その痕跡をご存知ですか。交通局若葉台営業所、若葉台小学校と霧が丘高校に挟まれた、現在、駅前で回収された自転車の保管場所と、駐車場になっている細長い土地です。今となっては夢物語でしょうか? 
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 また、若葉台の南側には頭上に緑色の水道橋が有ります。この水道橋は「かながわの橋100選」に選定されている「大貫谷戸水路橋」で、相模湖水系の水源から西谷浄水場に水道水の元となる原水を、
10mで6mm下がる自然流下で送っています。完成は66年前(1952年)です。 


 入居当時の若葉台は樹木も小さく上から見ると地面も見えていますが、今では樹木も大きくなり緑に囲まれた団地になっています。

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これから若葉台及び若葉台周辺はどの様に変わっていくのでしょうか。


《本ブログは広報部員及び有志のみなさんのご協力により更新しております》
《年内の更新は今回で最後となります。次回は1月7日(月)を予定しております。》