2021年8月16日
2021年度広報部ブログ

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(建設が始まった当時の若葉台:若葉台マスタープランより)

若葉台2丁目の入居が始まってから今年で丁度40年が経ちました。
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入居40周年記念として22号棟の前の曲がり坂道の角地に
2丁目南自治会と管理組合(*)によりミモザの樹が植樹されています。
(*)管理組合=若葉台第3住宅管理組合・団地管理組合法人くぬぎ
1980若葉台
建設途上の若葉台2丁目付近航空写真(1980)

棟別に異なっていますが入居月日は以下の通りです。

   棟別入居時期    1981年(昭和56年)
①4ー5ー6号棟       3月11日
 ②2ー3号棟(低層住宅)   3月30日 
③20-24号棟       8月11日
④25ー26号棟          8月20日

   40年前に若葉台を選び、入居した理由は住民それぞれかと思います。
  広報担当の場合は当時三ツ境の社宅から南林間の工場に車通勤して
  おり、ある朝、高速道路走行中に車窓から建設中の巨大な高層団地
  を発見し「通勤に便利そう!」と思って決めました。実際に住んで
  みると緑に囲まれ、環境や施設も満足でしたが入居翌年に日本橋に
  転勤となり、電車で片道約90分を余儀なくされ、往生しました。
ただ1981年の日本経済はバブル景気に向けてエンジンが始動
した時期で「企業戦士」の端くれとしては朝夕の通勤ラッシュに
揉まれても、今さら愚痴も言えずに、なんとか頑張っていました。

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上表は景気動向の指標を示す日本の株価の推移です。一般的に日本の
バブル景気とは1986年12月~1991年2月までの4年3か月
の間に生じた好景気のことですが1981年から既に助走が始まって
いました。81年~91年にかけて株価が約8倍に高騰しているのが
何とも驚異的です。従って81年に入居されたご同輩の多くの皆さんは
企業では中間管理職としてバブルの恩恵を受けられたと推察致します。
余談ですがバブル期に銀座界隈でタクシーを拾って「横浜の若葉台まで!」
と告げると大体の運転手さんは道案内不要で若葉台まで運んでくれました。
当時、若葉台住民の社用族、常連利用客が沢山いたのだと思われます。

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上写真で1981年の主な出来事を独断でまとめてみました。
“あれからの40年”の月日は大きな変化をもたらしています。
91年にバブルが崩壊して「失われた20年」を実体験して
年号も昭和・平成・令和と大きく変遷しましたが景気回復は
鈍化の状態が長い間続いています。加えて、昨年から世界的に
コロナが蔓延しており東京オリンピック2020の開催で一時的
に盛り上がったものの、今は又コロナ感染の急拡大で重苦しい空気が
日本を含め世界中に漂っており、中々トンネルを抜け出せません。

ところで、40年前に「なんとなくクリスタル」で颯爽とデビュー
した作家の田中康夫氏が今月22日に行われる横浜市長選挙に立候補
しています。小説の中で予言した日本の少子化や超高齢化社会が現実
のものにはなっていますが果たしてどの位の票を集められるか興味
深いところです。